姫路駅から北へ歩くこと約10分。姫路城の南西に位置し、夜には煌びやかなネオンが灯る姫路最大の歓楽街「魚町」。
この町名、実は「うおまち」ではなく「ととまち」と読みます。全国的にも珍しいこの呼び名の由来と、姫路城の台所を支えた熱い歴史を紐解きます。
1. 幼児語が地名に?「とと」に込められた愛着
「とと」とは、古語で魚を意味する言葉で、現代で言うところの幼児語(おとと)に近い表現です。
かつて江戸時代、この地には瀬戸内の豊かな海の幸が集まり、威勢のいい魚商人たちの声が響いていました。市民にとって最も身近で欠かせない存在だった「お魚(とと)」が、そのまま町名として定着したと言われています。今もこの読み方が残っているのは、姫路市民がこの町に対して抱いてきた深い愛着の証でもあります。
2. 池田輝政の「町割り」:職業でエリアを分けた戦略
魚町の歴史は、姫路城を現代の姿に築き上げた名将・池田輝政による大規模な城下町改修(1601年〜1609年)から始まります。
当時、城下町には「職業別集住制」が敷かれ、同じ職種の人々を一箇所に集めました。
- 魚町: 魚商人の町
- 綿町: 綿花を扱う町
- 塩町: 塩の流通を担う町
このように、商業を効率化しつつ、有事の際には職能集団として防衛の一翼を担わせる軍事的な意図もありました。魚町は、飾磨港から運ばれてくる鮮魚を管理・供給する「食の司令塔」だったのです。
3. 姫路城の台所を支えた「鮮魚ルート」
当時の魚商人は、毎朝まだ暗いうちに飾磨港で水揚げされた鯛、穴子、鰆(さわら)などを仕入れ、城内へ急ぎました。
- 飾磨港: 瀬戸内の絶品鮮魚が届く
- 魚町: 厳しい目利きが選別
- 姫路城: 「城内御用」として納品
- 市中: 姫路市民の食卓へ
お殿様が食べた「選りすぐりの一匹」と同じ産地の魚が、魚町を通じて庶民の口にも入る。この活気が、現在の魚町の「食文化」のルーツとなっています。
4. 幕末の悲劇:歴史の転換点「甲子の獄」
華やかな食の歴史の一方で、魚町は幕末の動乱期に悲劇の舞台にもなりました。 1864年(元治元年)、尊王攘夷を掲げた姫路藩士たちが捕らえられ、魚町にあった「藩用宰舎(はんようさいしゃ)」にて獄死・処刑されるという**「甲子の獄(かっしのどく)」**が起きました。 現在はその跡地も整備されており、華やかな歓楽街の中にひっそりと歴史の重みを伝えています。
5. 現代の魚町:江戸の活気を引き継ぐ「食の街」
現在の魚町は、かつての魚問屋から、居酒屋、料亭、バーが立ち並ぶ兵庫県内屈指の歓楽街へと姿を変えました。
「ととまち」という可愛らしい響きの裏には、お殿様の舌を満足させ、市民の胃袋を支えた職人たちの誇りが息づいています。姫路城を観光した後は、ぜひ魚町の夜へ。江戸時代の活気を受け継ぐ名店たちが、今も美味しい魚と酒であなたを待っています。
Warning: Trying to access array offset on value of type bool in /home/c2507168/public_html/himejieeyan.beta-agency.site/wp-content/themes/jin/cta.php on line 8
Warning: Trying to access array offset on value of type bool in /home/c2507168/public_html/himejieeyan.beta-agency.site/wp-content/themes/jin/cta.php on line 9